第3回|言語化が苦手な人こそAIを使う意味がある。丸投げではなく補助輪として使う話

頭の中のアイデアを言葉にできずにいる状態から、AIの補助で記事構成を整理し、自分の言葉で読者に伝わる形へ整えていく日本人女性のイメージ AIブログの難しさ

AIの話になると、よく極端な言い方が出てきます。

「ChatGPTがあれば誰でも記事が書ける」
「もう文章力はいらない」
「知識がなくても量産できる」

こういう話を見ていると、たしかに便利そうには見えます。実際、AIは速いです。見出しも出すし、構成も出すし、言い換えもしてくれる。ゼロから全部ひねり出す苦しさは、かなり減りました。

でも、実際に使っている側の感覚で言うと、もう少し違うんです。AIは、何もない人を一発で稼がせる魔法というより、頭の中にあるのに言葉にできないものを外に出す補助輪に近い。

僕自身、最初から文章がうまいタイプではありません。考えていることはある。違和感もある。これ、おかしいだろと思うこともある。でも、それをそのまま読める文章にするのがしんどい。順番がつかない。言い回しが固まらない。途中で手が止まる。そういうことは普通にあります。

だからAIは助かる。ここは本当です。ただし、それは「全部やってくれるから助かる」ではありません。自分の中にある素材を、いったん外に出しやすくしてくれるから助かるんです。

今回は、その話をちゃんと分けて書きます。AIは丸投げ装置なのか。それとも補助輪なのか。僕はたぶん後者だと思っています。

この記事の結論

AIは、何もない人の代わりに全部やってくれる魔法ではありません。でも、頭の中に素材はあるのに言語化が苦手な人にとっては、かなり強い補助輪になります。大事なのは丸投げではなく、「自分の中身をどう外に出すか」という使い方です。

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文章が苦手でも、頭の中に何もないわけではない

ここは、最初にちゃんと切り分けておきたいところです。

文章が苦手な人って、何も考えていないわけではありません。むしろ逆で、頭の中にいろいろあるのに、それを順番に並べて外に出すのが苦手なことが多い。現場で感じた違和感はある。経験から言えることもある。でも、それを見出しにして、流れを作って、読みやすい文章にするところで止まりやすい。

僕はこのタイプの人、かなり多いと思っています。特に副業でブログをやる人って、本職がライターじゃないことも多い。普段は別の仕事をしながら、隙間時間で書く。現場感はある。でも、文章だけは得意じゃない。これは別に珍しいことじゃありません。

だから「文章が得意じゃないならブログは無理」と切ってしまうのは、ちょっと違う気がします。問題は、頭の中に中身があるかどうかです。そこがあるなら、言語化の補助は後からつけられる。AIは、まさにそこに効くことがあります。

つまり、書けないことと、何も持っていないことは同じではない。ここを一緒にすると、AIの使いどころも見失いやすいです。

AIが強いのは「頭の中の下書き」を外に出す場面だ

AIを使っていて助かるのは、まさにここです。

なんとなく言いたいことはある。
でも、言葉にならない。
話が散らかっている。
順番が見えない。
一文目が出てこない。

こういう時に、AIはかなり役に立ちます。こちらの曖昧な考えを一度文章にしてくれる。論点を分けてくれる。言い換えの候補を出してくれる。自分一人だと止まっていたところを、「とりあえず前に進める」状態にしてくれる。

ここでは本当に強いです。特に、書き出しの重さを軽くしてくれるのは大きい。ブログって、書き始めるまでが一番しんどいことがあります。頭の中にあるのに、外に出ない。その詰まりを一回ほぐしてくれるのがAIです。

だから僕は、AIを「自動で記事を完成させる機械」というより、頭の中の下書きを外に出す装置として見ています。たとえば、うまく喋れない人がメモを見ながら話すと整理しやすいように、AIを間に挟むことで、自分の中の考えが形になりやすくなる。

この意味で、AIはかなりありがたいです。言語化が苦手な人にとっては、ただの流行り道具じゃなく、普通に作業の壁を下げてくれる相棒になり得ます。

でも、丸投げすると急に文章が薄くなる

ここでよく起きるのが、便利さがそのまま落とし穴になることです。

AIが一度きれいに文章を出してくれると、そのまま使いたくなる。こっちは楽です。形になっているし、日本語も整っているし、見た目はかなり完成している。でも、そのまま出すと、妙に薄い文章になることがあります。

実際、AIにそのまま書かせた文章を見て、「整ってるのに、全然残らないな」と思うことはあります。言っていることは間違っていない。読みやすくもある。でも、そこに引っかかりがない。自分が本当に言いたかった温度がない。現場の匂いがない。わざわざその人から読みたい理由が弱い。

たぶんこれは、AIが悪いというより、役割を間違えるから起きるんだと思います。AIは下書きには強い。でも、そこを終点にしてしまうと、平均的で無難な文章のまま止まりやすい。つまり、便利だからこそ、そのまま出したくなる。その誘惑がかなり強い。

AIの文章が薄くなるのは、たいてい「書けるからそのまま出した」時です。整っていることと、自分の文章になっていることは別です。

ここを飛ばすと、速くはなるけれど、記事の芯が抜けやすい。だからAIは便利だけど、丸投げすると逆に「自分の文章じゃなさ」が強く出ます。

補助輪として使うなら、AIはかなり希望がある

ここで言いたいのは、AIを怖がれということではありません。むしろ逆です。丸投げではなく補助輪として使うなら、AIにはかなり希望があると思っています。

補助輪って、自転車を代わりにこいでくれるわけではありません。進むのは自分です。でも、最初にふらつくところを支えてくれる。倒れにくくしてくれる。これが大きい。

AIもそれに近いです。

  • 最初の一文が出ない時に、叩き台を出してくれる
  • 散らばった考えを整理してくれる
  • 見出しの順番を仮置きしてくれる
  • 固い言い回しをほぐしてくれる
  • 自分では見えていなかった論点を出してくれる

これって、言語化が苦手な人にはかなり助かる機能です。しかも、ここだけ使うなら、人間側の主導権も比較的残しやすい。

つまり、補助輪としてのAIは、「自分の代わりに走るもの」ではなく、「自分が走れる形を作るもの」です。この違いはかなり大きいと思います。

大事なのは「AIに書かせる」より「自分の素材を混ぜる」こと

AIを使っても薄くなりにくい人には、だいたい共通点があります。AIに書かせたあとで、自分の素材をちゃんと混ぜていることです。

たとえば、自分の体験。
現場で感じた違和感。
なぜそう思うのかという偏り。
他の人は見落としがちな、少し嫌なリアル。
そのへんをちゃんと戻している。

AIが出してきた叩き台に、自分の実感を足す。一般論を少し削って、自分の言い方に寄せる。薄いところに具体例を入れる。きれいすぎる文章を少し崩して、人間の温度を戻す。こういう作業をすると、一気に「その人の記事」に近づきます。

逆に言えば、ここをやらないと、どれだけ読みやすくても、どこか借り物っぽい文章になりやすい。副研みたいにコラム寄りの媒体だと、ここはかなり大事です。情報整理だけならできる人は増えました。でも、「この人だから読みたい」は、まだ人間側の持ち分が大きい。

だから、AIで文章を作る時に本当に大事なのは、書かせることよりも、最後に自分の素材をどう戻すかなんだと思います。

「うまく書けない人」にAIは向いている。でも「何も考えていない人」には向きにくい

ここは少し言い方が難しいんですが、実感としてかなりあります。

AIと相性がいいのは、文章が得意な人だけじゃありません。むしろ、考えているのに、うまく言葉にできない人のほうが恩恵を受けやすいことがあります。

逆に、何も考えていないままAIに任せると、きれいだけど空気の薄い文章ができやすい。論点も熱も薄い。読者に届く前に、ただ流れていく。これは本当によくある形です。

だから、AIは万能ではない。でも、向いている人にはかなり効く。その「向いている人」というのは、文章のプロよりも、中身はあるのに、出し方で止まっている人なんじゃないかと思います。

この見方をすると、AI副業の景色も少し変わります。「誰でも簡単に稼げる」ではなく、「言語化で止まっていた人の壁を下げる」。こっちのほうが現実に近いし、変に夢を盛らなくて済みます。

結局、AIは「自分の代わり」ではなく「自分を前に出す道具」なんだと思う

ここまで使ってきて思うのは、AIって「自分の代わり」ではないんですよね。むしろ逆で、自分の中にあるものを前に出すための道具なんだと思います。

考えを整理する。言葉を仮置きする。順番を作る。形にする。ここまではAIがかなり助けてくれる。でも、何を伝えたいのか、どこに引っかかっているのか、何が本音なのかは、最後まで人間側の持ち物です。

だからAIを使う時に大事なのは、「全部任せること」ではありません。自分の中にある素材を、どう外に出しやすくするか。そのためにAIをどう使うか。ここを見失わないほうが、たぶん長く見ると強いです。

AIは魔法ではない。
でも、言葉にできずに止まっていた人を前に進める補助輪にはなり得る。
大事なのは、丸投げではなく、自分の中身を乗せることだ。

今のところ、僕の実感はこの一文にかなり近いです。

編集後記

僕はAIにかなり助けられています。ここは本音です。もともと言語化が得意なほうではないので、叩き台を出してくれるだけでもかなりありがたい。

でも同時に、そのまま出すと自分の文章じゃなくなる感じも強いです。整っているのに、何かが抜ける。そこに自分の体験とか違和感とか、ちょっとした引っかかりを戻さないと、読み終わったあとに何も残らない。

だから今の感覚では、AIは代筆装置というより補助輪です。止まっていたものを前に出してくれる。でも、こぐのは自分。たぶんこの距離感がいちばんしっくりきます。

次回予告

第4回では、AIは「0を1」にする魔法ではない。ブログ副業でわかった“増幅器”としての正体を掘ります。AIが何かを生むというより、人間の中にあるものを大きくする道具に近いのではないか。その話をもう一段深く整理します。

AIは、全部を代わりにやってくれる魔法として見るとズレやすいです。でも、言語化で止まっていた人の補助輪として見ると、一気に使い道がはっきりします。このシリーズでは、その「便利さ」と「残る人間の仕事」を分けて書いていきます。続きが気になる方は、第2回と次回の第4回もあわせてどうぞ。

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