生活保護は最後の手段ではない。崩れる前に使える社会に変えられるのか

『生活保護は最後ではない』『崩れる前に使える社会へ』という大きな文字と、収入減少や未払い、生活費の圧迫で崩れかけた男性が、早めの支援につながる橋を渡って、住まい・食事・医療・生活費・相談の支援と福祉窓口へ進む様子を描いた、生活保護を崩れる前に使える社会の必要性を表現するポップアニメ風サムネイル 社会構造

生活保護という言葉には、いまだに妙な重さがある。

本当にもうダメになった人が使う制度。最後の最後に行く場所。そこまで追い込まれてから、ようやく名前が出てくるもの。たぶん、多くの人がそんなふうに思っている。

でも僕は、その位置づけ自体がもうきついのではないかと思っている。なぜなら、生活は「完全に終わった」と見える前から壊れ始めるからだ。家賃が遅れる。食事が荒れる。眠れなくなる。病院を後回しにする。単発の仕事でつなぐ。何とか今日を越える。その積み重ねの中で、人はじわじわ崩れていく。

本当に怖いのは、崩れ切った瞬間ではない。その手前だ。まだ少し動ける。まだ少し働ける。まだ外から見ると何とか見える。けれど、内側ではかなり危ない。令和の貧困のしんどさは、まさにそこにあると思う。

だから最後に問いたい。生活保護は、本当に「最後の手段」のままでいいのか。もっと手前で、人を落とし切る前に使える社会へ変えられないのか。

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生活保護は「最後まで追い詰められた人の制度」なのか

生活保護という制度そのものを知らない人は、そこまで多くないと思う。名前は知っている。なんとなくの意味も分かる。けれど、その距離感があまりにも遠い。

困ったら使える制度、というより、「そこに行ったらもう終わり」という空気が強い。自分でどうにもならなくなった人の最終地点。そういうイメージが先に立つ。すると何が起きるか。相談が遅れる。まだそこまでじゃない、と自分に言い聞かせる。もう少し頑張ろう、もう少し働こう、今月だけしのごう、と先延ばしが始まる。

でも現実には、崩れてからでは遅い人がいる。体調が落ちてからでは戻りにくい。家を失ってからでは立て直しが一気に難しくなる。借金や滞納が膨らんでからでは、気力ごと削られる。つまり、最後まで我慢することが美徳みたいに扱われる社会は、再建の難易度を自分で上げていることになる。

制度があることと、使えることは違う。このシリーズでずっと書いてきたのはそこだが、生活保護ほどその差が大きい制度もないのかもしれない。

「最後の手段」という言い方が、人を遠ざけている

生活保護を「最後の手段」と呼ぶこと自体が、もう一種の圧力になっている気がする。

最後の手段という言葉には、「そこまでは自力で頑張るべきだ」という響きがある。つまり、使う前に、できるところまで削れ、耐えろ、工夫しろ、我慢しろ、と言っているのに近い。もちろん現実には、他の制度や支援を先に使う場面もあるし、生活保護だけが万能なわけでもない。けれど、その話と「最後まで追い込まれてからでないと使ってはいけない」という空気は別だ。

ここが混ざると、人は生活保護を制度ではなく敗北として受け取りやすくなる。申請したら終わり。そこまで落ちたと思われる。周囲に知られたくない。家族にも言いにくい。こういう後ろめたさが重なると、本当に必要な人ほど手を出しにくくなる。

僕は、この重さは制度の問題だけではなく、社会の見方の問題でもあると思う。使った人が怠けていたのではなく、そこまでいかないと届かない社会のほうに、もっと違和感を持つべきではないか。

本当に必要なのは、崩れてからの救済ではなく、崩れる前の支えだ

人を立て直すというのは、底まで落ちてから引っ張り上げることだけではない。むしろ、本当に必要なのは、その少し手前で止めることだと思う。

住まいが切れる前に止める。食事が荒れ切る前に止める。医療が切れる前に止める。家計が完全に見えなくなる前に止める。そうやって崩落を小さいうちに止められれば、再建の難易度はかなり変わる。

ところが今の空気は、どうしても逆へ寄りやすい。まずは頑張れ、まずは働け、まだ若い、まだ動ける、まだ工夫できる。もちろん、それで持ち直す人もいる。でも、それで持ち直せない人がいるからこそ制度があるはずなのに、その制度が「最後の最後」まで遠いままだと、結局また根性論へ戻ってしまう。

立て直しは、底まで落ちてから始めるものではない。落ち切る前に支えたほうが、どう考えても傷は浅い。そこを当たり前に考えられる社会のほうが、たぶん人をちゃんと回復させられる。

なぜ生活保護は“手前で使う制度”になりにくいのか

ではなぜ、そうならないのか。理由は一つではないと思う。

まず、窓口不信がある。制度はある。でも通らないかもしれない。行っても削られるかもしれない。まだ働けるでしょと言われるかもしれない。この空気があるだけで、入口はかなり重くなる。

次に、自己責任論がある。生活が苦しいのは努力不足ではないのか、もっと工夫できたのではないか、という目線が、社会にも、そして本人の中にも入り込んでいる。だから「使っていい権利」より、「自分はそこまで行ってしまったのか」という敗北感のほうが強く出やすい。

さらに、副業や単発収入がある時代特有のややこしさもある。少し働ける。少し稼げる。だから余計に、自分はまだ対象ではないのでは、と考えてしまう。けれど実際には、少し働けることと生活が回ることは別だ。このシリーズでも何度も書いてきたが、ここを混同すると人は支援から遠ざかる。

申請は権利だと言われても、体感としては敗北や敗退みたいに扱われる。ここが変わらない限り、生活保護は“もっと手前で使える制度”にはなりにくいのだと思う。

副業や単発収入がある時代だからこそ、生活保護の位置づけを見直すべきだ

昔より今のほうが、働き方は細かく分かれている。本業一本で安定している人ばかりではない。スポットワーク、短時間バイト、フードデリバリー、単発の在宅仕事。そういう働き方で何とかつないでいる人はかなりいる。

これは悪いことではないし、実際に救われている人もいる。ただ同時に、その働き方があるからこそ見えにくくなる苦しさもある。ゼロではない。少し収入はある。だから支援の側から見ると、まだ行けるようにも見えてしまう。でも生活全体では全然回っていない、という状態が起きる。

だからこそ、生活保護の位置づけも見直したほうがいいのではないかと思う。まったく働けない人だけの制度、という見方ではなく、不安定就労時代の“途中の支え”として考え直す視点だ。もちろん、何でもかんでも生活保護に寄せろという話ではない。けれど、少し働いているからこそ逆に危ない人がいる以上、「少し動けるならまだ使うべきではない」と一律に見るのは現実に合っていない。

生活保護を「最後の最後まで我慢した人の制度」に固定しておくと、この時代の苦しさは拾いにくい。むしろ今は、途中で落ちないための制度としての意味をもっと見直すべき時期なのかもしれない。

人を立て直す社会なら、生活保護はもっと早く届くべきだ

本当に人を立て直す気がある社会なら、生活保護はもっと早く届くほうがいい。少なくとも、「完全に崩れてから」「何もかも失ってから」「心身ともに限界になってから」でないと実質使いにくい空気は、やはりおかしい。

制度の中身ももちろん大事だ。だが、それと同じくらい大事なのは、届くまでの空気と導線だと思う。相談していい。早めに行っていい。少し働いていても苦しいなら相談していい。そういう空気が薄いままだと、人はずっと手前で我慢してしまう。

必要なのは説教ではない。早めに使える空気だ。必要なのは選別ではない。途中で落とさない導線だ。生活保護を「最後の手段」とだけ呼び続けるのではなく、「崩落を止める制度」として見直すほうが、令和の生活には合っている気がする。

落ち切ってから拾うより、落ちる手前で止めるほうがずっといい。当たり前の話だが、当たり前だからこそ、もっと正面から言っていいと思う。

生活保護を“最後の手段”に固定したままでは、令和の貧困は深くなる

このシリーズで書いてきたことを最後にまとめるなら、結論はかなりシンプルだ。問題は怠慢ではなく、足場の弱さだということだ。

支援の根性論がある。立て直しには順番がある。少し働くと損をする段差がある。支援団体が最後の砦になっている。制度はあるのに通らない。そして最後に、生活保護が“崩れ切った後の制度”のままでいる。こうして見ると、どこまで行っても問題は「本人が頑張らないから」ではなく、「落ちないための足場が細すぎるから」に戻ってくる。

生活保護を最後の手段に固定したままでは、その足場は太くならない。むしろ、最後まで我慢させるぶんだけ傷が深くなる。令和の貧困が長引きやすいのは、そこにも理由があると思う。

崩れてから救うのではなく、崩れる前に届く。そこへ少しでも近づけるなら、生活保護の意味はかなり変わるはずだ。そしてそれは、制度を甘くすることではなく、人を立て直しやすくすることだと僕は思う。

編集後記

このシリーズを書きながら、何度も同じ場所に戻ってきた気がする。貧困は金がないことだけではない。助けを求めた先で削られることもきついし、立て直そうとした途中で落とされることもきつい。結局、人を壊しているのは「足りない努力」より、「弱い足場」のほうなのだと思う。

生活保護の話になると、どうしても賛成か反対か、厳しいか甘いか、みたいな雑な二択になりやすい。でも本当はそこではなく、いつ届くべきか、どう届くべきか、どれだけ手前で支えられるか、の話ではないかと思っている。

第1話から第7話まで通して書いてきたのは、怠慢論ではなく構造論だ。令和の貧困は「抜け出せない人」の話ではなく、「抜け出す足場が弱すぎる人」の話だ。そして社会の側に本気で立て直す気があるなら、最後の最後まで人を我慢させるのではなく、もっと早く支えを届ける方向へ変わっていくべきだと思う。

このシリーズはいったんここで締める。ただ、終わりというより、ここから各論に入れる入り口でもある。ひとり親、不安定就労、慢性痛、精神的不調、家計崩壊、相談同行。掘るべき論点はまだたくさんある。けれど、まずはここまでを一本の束として置いておきたい。

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